エジソンは自分を,投資家が臆病なために発明を自分で実用化しなければならない発明家に見せようとした。自分は研究所にいて誰かが資金を集め工場を管理してくれることを望んでいると,彼は思わせようとした。エジソンの実業家としての評判はけっして高くはなかった。エジソンは世界最高の発明家だが最悪の実業家であるという,友人ヘンリー・フォードの言葉はその事情をよく表している。このエジソン像は今日まで存続し,革新的企業の衰退は技術が劣っていたからではなく経営が拙かったからだと説明される。経営学の専門家ピーター・ドラッカーは最近の著作で,エジソンは自分の発明を発展させるために立てた会社を破滅させたひどい経営者であると論じた。たしかに多くのエジソンの会社が破産したが,この事実上の失敗がすべて拙い経営によるわけではない。ドラッカーは,「ほとんどではないにしても多くのハイテク企業は,エジソンと同じやり方で経営されている,というより経営されそこなっている」と述べるが,それは二重に誤っている。エジソンの多角経営を模倣できるハイテク企業など,今日わずかしかないだろう。研究事業を少なくとも3つの異なる技術にもとづかせるという彼の事業戦略によって,技術的失敗や経済的不況に対するクッションが与えられた。エジソンの事業経営の歴史は成功の連続の歴史ではないが,失敗の連続だったわけでもない。金ピカの時代と大恐慌という生き馬の目を抜く実業界を生き抜いたことは,まさしく彼が誇りとするところである。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.60-61
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