1892年にエジソンの名前が社名から削られジェネラル・エレクトリック社(GE社)が設立されたことにエジソンは不満だったが,しばしばいわれているように同社と関係を切ることはしなかった。エジソンは自分がつくり出した産業から自分の名前がなくなることで悩んでいると秘書テイトは考えたようだが,エジソン自身はそれよりも合併においてトムソン=ヒューストン社の資産価値の方が高く評価されたことに驚いていた。予想に違わず,ヘンリー・ヴィラードは小さかったトムソン=ヒューストン社の株式を水増しし,EGE社の株式と同程度にさせていたのである。GE社の設立は,エジソンの電機産業とのかかわりにおける分水嶺になっているとよく指摘される。マスコミは独占企業と孤高の発明家との対立とみなし,エジソンが自分のつくり上げた産業から追い出されたと論評した。一方多くの啓蒙書やテレビ番組では,エジソンをGE社の創業者としてみなしていた。(実際には同社の設立はヘンリー・ヴィラードとJ.P.モルガンの仕事であった)。電力供給と電気製品の製造の業界では競争が激しく,エジソンはあまりそこに自分の金銭の利害をかかわらせたくなかった。ウェストオレンジ研究所を設立する目的は,まさにこのような過当競争的な市場から,新しい製品による新事業へ移行することにあり,エジソンは最組織された電機産業にあまり未練はなかった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.156-157
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