映画の真の発明家を探そうとしても,あまり意味がない。エジソンの研究所の流動的な組織の中で,何人もの人たちがこの技術の誕生に重要な貢献をした。研究所外部の人々も,科学出版物を通じてあるいはエジソンや彼の部下との個人的な接触によって実験結果を提供した。この新技術創生の歴史におけるポイントは,それがけっして1人だけの作業ではできなかったということである。電気照明と同様に,映画の開発も国際的広がりをもつものだった。エジソンの技術的工夫はまさに絶好の場所とタイミングでなされた。キネトスコープはもともとエジソンのアイデアだったが,その発明の成功は,彼のアイデアを実際の装置に仕立てあげた部下たちの技能によるところが大きい。エジソンは映画の発明にはあまり権利は主張できないかもしれないが,彼の発明工場(それこそが彼独自のアイデアだった)の職員の協力がなければ19世紀のうちに映画は生まれなかっただろう。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.164
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