電気扇風機はウェストオレンジで生産される一連のモーター製品のうち最初のものだった。それはモーター,基盤,羽,針金のガードからなる単純な機械であり,蓄音機工場での組み立ても容易だった。一号棟の電気研究所の職員はどんな家庭用電源でも使えるモーターを設計し,工作室ですみやかにエジソン=ラランド電池の不要な扇風機として製作された。扇風機は,広く一般に流行した。世紀末までに電気扇風機は,電話や電動エレベーターと同じように事務作業にとって不可欠のものとなった。
エジソンが切り開いていくところは,すぐに多くの人が追いかけてきた。扇風機をまねすることは難しくなかった。エジソン製造会社も多数販売したが,家電製品の市場に参入しようとする小企業のつくる何千もの電気扇風機によってすぐに凌駕された。エジソンはこの分野で競争がなかなか起こらないなどとは楽観していなかった。彼は述べている。「発明が競争によって十分な利益を上げない場合には,中断して別の発明で置き換えていけばいい」。映画はまさにそのたぐいの置き換わるべき技術だった。研究所のこれまでの経験にしっかりもとづいており,模倣は電気扇風機の場合よりずっと難しかった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.180-181
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