この戦略において典型的だったのが,X線を実用技術としてすみやかに開発していったことである。ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは,1895年の末にX線(未知という意味を込めて命名された)を発見した。この種の電磁気力は光と同程度の波長をもち,個体を貫通することができた。レントゲンの発見が電信で報じられるのを聞くや,10時間後にはその実験を開始した,とエジソンは言っている。このプロジェクトは研究所の電気,写真,電気医療の専門家を活用することになった。ただちに必要な機器すべて,特にX線を生み出すのに必要な高電圧の発電装置などがそろえられた。ウェストオレンジ研究所は活気づき,エジソンと彼のチームは日夜作業を続け,レントゲンの実験を再現するとともに,フルオロスコープと呼ばれる装置を2週間以内でつくり上げた。フルオロスコープは,蛍光乳剤を塗ったスクリーンと2つの電極をもつ真空管からつくられており,電荷が金属の標的にあたることでX線を放射し,X線は患者を通りぬけスクリーンに届いて像をむすぶのである。エジソンは作業用のフルオロスコープを1896年3月末にコロンビア大学のマイケル・ピューピンに送り,7月までにウェストオレンジにフルオロスコープの製造工場を完成させた。彼の研究所が1880年代の操業で示していたすばやさは,まだ失われていなかった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.182-184
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