有数の蓄音機会社の提供する音楽が,60代の偏った好みの男性の遠くなった耳によって選ばれていたことはいかにも皮肉なことである。エジソンは演出家としての仕事を楽しみ,録音と音楽家との契約を取りしきった。音楽に対する彼の独断が,ウォルター・ミラーやジョージ・ワーナーら部下たちに押しつけられ,彼らは音楽録音に関するエジソンの偏った方針に従わざるをえなかった。エジソンの音楽の趣味は平凡なものだったけれども,彼の野心は大オーケストラで演奏されるクラシック音楽を録音することだった。さらに多くの音楽家たちの録音が可能になるよう,エジソンの指示に従って新しいスタジオがウェストオレンジ研究所の4号棟に建てられた。彼は完全で本物そっくりの音を再生しようと,何千もの実験を繰り返し研究を続けた。エジソンは,電灯という脅威を世にもたらした人物として多くの人に記憶されているが,蓄音機の実験に費やされた時間の長さを考えれば,むしろ何年にもわたって音楽の明瞭で忠実な再生ができるよう努力した人物として記憶されるべきであろう。これこそ彼の一生の仕事だった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.265-266
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