口述用蓄音機をいざ売り込む段になって,ショップ文化の価値観が市場では通用しないことが示された。この技術によって事務所にいる熟練労働者は不要になると研究所は踏んでいた。「あなたの会社の速記者は昼食をとりに家に帰り,ときどき休暇をとる……蓄音機は食事をとらないし,いつも手元にあり,いつでも準備ができている」。機会は利用しやすかった。「しゃべれるだけ速くチューブにしゃべって下さい。それだけです」。それによる経済的利益は,高い購入費と保守管理のめんどうを上回るはずであった。
この戦略は,不要になるとされた従業員自身の手ですぐに握りつぶされた。速記者は,蓄音機が信頼性に欠け複雑で理解できないと主張し,その使用を拒否した。産業化の初期の事務労働者は一定の地位を保っていたが,その後徐々に低下しつつあった。エジソン社のA.O.テイトのように,彼らは中流階級出身で管理職になるのが通例だった。事務作業は,技能や自由の度合いなどで職人の作業になぞらえられたりした。1880年代の米国の典型的な事務所では,速記者は通常男性で給料もよく(エジソン社の広告文によると週20ドルも稼いだ),自分の速記技能や事務管理能力を自由に伸ばしていくことができた。彼らは事務労働者の頂点に位置し,事務係,コピー係,帳簿係,伝令よりも地位が上だった。速記者を蓄音機によって置き換えることは容易ではなかった。
19世紀末におけるタイプライターの導入と事務量の急速な増大によって事務作業に革命が起こり,そこに口述用蓄音機の製造業者が入り込む余地が生まれた。女性がますます事務所に進出し,タイピストという新しい職につくようになった。だが彼女らには昇進の機会や男性速記者並みの幅広い仕事が与えられていなかった。1900年には速記者とタイピストの75パーセントは女性になった。事務職への女性の進出によって,低賃金で召使い的な労働者層が生み出された。エジソンのセールスマンは口述用蓄音機の売り込み方を変え,蓄音機によって高級のすぐれた速記者をタイピストで置き換えられると説得するようになった。タイピストは,蓄音機に吹きこまれた手紙を書き起こすだけでいい。販売部のスローガンはその利点を,「熟練した速記者の代わりに,半額の給料のタイピストですますことができます」とうたった。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.308-310
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