熱烈な愛国主義社のエジソンは,米国が参戦すればしかるべき役割を果たすつもりだった。1895年に彼はすでに戦争が起これば「すべてを捨てて国に奉仕する」つもりであると公表した。彼は多くの米国人と同様,この戦争を軍国主義に対して民主主義を守る戦い,絶対主義の力に対してアメリカ式の生活様式を守る戦いとして見ていた。国家の危機に直面してその国の経済の源泉である産業技術が救済者として活躍することは,適切でありおそらく不可避的でもあった。連邦政府が国家の産業的科学的資材と人材の動員を決定したときに,米国で最も有名な発明家がその努力を指導することもまた適切だった。海軍省長官は1915年エジソンに,軍の技術的諮問に答える技術専門家の頭脳集団というアイデアを提示してきた。海軍諮問評議会(NBC)と後に呼ばれるこのグループは,科学と技術は戦争で重要な役割を果たすという信念と米国人の「天賦の発明の才」が活用できるという信念にもとづいていた。エジソンはこの考えに両手を上げて賛成した。技術的解決が有効であるという彼の長年の信念は,今やより高い境地に達した。「差し迫った対立」において,科学は民主主義に奉仕するために必要とされたのである。エジソンはある漫画のメッセージがとりわけ気に入っていた。それは英雄的な発明者の姿が創意と技術革新の故郷とされる米国の大西洋岸に高く立ち構えているもので,エジソンはその絵を研究所の図書館の壁に貼らせた。ダニエルス長官はエジソンに助言をしてもらうだけでなく,海軍では扱えないような重要な実験作業をウェストオレンジのエジソン「自身のすばらしい施設」でこなしてくれるよう要望した。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.324
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