彼の米産業界への貢献は,ほとんど注意を払われてこなかった。企業内研究,すなわち古い製品を改良し新しい製品を探しだすための常設の研究施設というアイデアを生み出した栄誉は,エジソンに与えられなければならない。1920年代にはTAE社は,「発明とはエジソン研究所からの組織されたサービスである」と言うことができた。
エジソンは企業内研究を管理し,研究所からもたらされる新しいアイデアと製品の流れのまわりに事業を組織するという方法をつくり出した。彼は技術研究にもとづく多角経営の先駆者だった。TAE社創設までには,音楽用蓄音機,口述用蓄音機,一次電池,蓄電池,セメントという5つの製品系列にもとづく企業連合ができ上がった。これは,デュポン社,GE社,RCA社といった企業によって採用された戦略であった。RCA社によれば,「研究と多角化はRCAビクター社の将来への計画的な投資であった」。
経営者かつ組織設立者として,エジソンは失敗もした。彼が始めた多角化の方針は,彼の事業をつくり出し,また没落もさせた。多角化のために財源も研究所の人材と設備も,つねに限界まで追求された。結果として事業をどれか1つでも完全に支配することができなかった。だが1920年代まで,彼はつねに新領域に移ることで事業の破滅を避けることができた。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.389
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