彼が達成したことのうち,アイデアとその実現が完全であったものがある。それは,企業内研究というアイデアを実業家と消費者に売り込んだことである。ウェストオレンジ研究所は,実験が生活の質を高め,企業と製造業者に無限の機会を与える場所だった。その産物に「テクノロジー」という威厳ある名称が与えられるまで数年が経過した。エジソンの研究所や機械ショップにはそのような言葉がまだなかった。彼が死んだときには,米産業界には数百もの研究所があった。1931年には1600もの企業内研究所が存在し,3万2000人もの職員が働いていた。ベル研究所などの有名な研究機関とともに,コーンフレークで有名なケロッグ社,チョコレートのハーシー社,そしてジェロー社などにも小さな研究施設があった。企業内研究の主唱者のねらいは単純だった。技術は善で制御可能であり,何よりも企業内研究は利益につながる,というものだった。そのテーマに関するさまざまな記事には,「研究——企業の医者」「企業科学——最良の保険」「研究によってなされる産業の進歩」「進歩の光としての研究」といった表題が付けられていた。
アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.389-390
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