たしかにふたご研究では,ここに挙げられたさまざまな能力について,遺伝率にして30〜50%,多い場合は60%を超す大きな遺伝子全体の効果量を繰り返し報告しています。しかし遺伝子ひとつひとつについてみた場合は,その効果量は決して大きなものではないのです。仮に全部で10%を説明する数個の遺伝子の型がわかり,それだけである能力が高いと予想されたとしても,まだ説明されていない残り3〜40%の遺伝子が逆にその能力を低めるようであれば,予想は覆ります。しかもこれらは疾患ではなく健常な状態の個人差です。疾患に関わる遺伝子であれば,それが全体のバランスを乱すことからそれを発見することもできますが,健常な範囲内での個人差は全体とうまく調和しているので,その発見が困難です。
これはオーケストラのバイオリンのパートのようなものです。オーケストラの中で一斉にバイオリンを弾いている奏者たちは,そのひとりひとりの演奏を聞けばそれぞれに個性的です。また100人のオーケストラの中で20人程度を占めるバイオリンパートの働きは,それ全体としてはとても大きいものです。しかしみんながそろって同じ旋律を奏でるとき,その中のひとりひとりの個性の違いは,よほど調子っぱずれの困った演奏でない限り,決して大きなものではありませんし,そもそもバイオリン協奏曲のソリストのように大きく目立ってもいけないものです。そのうち10%がとびきり上手なバイオリン奏者だったとしても,残りの90%のバイオリン奏者が凡庸だったりへたくそだったりしたら,そのオーケストラのバイオリンパートの音はあまり上手には響きません。だから特定の1人のバイオリニストの演奏(つまり1つの遺伝子の効果)だけではほとんど何も言えないのです。またたった1人,全体の調子を狂わすほど変な音を出す奏者が混ざっていたら,その音楽は聞くに耐えないものにすらなるでしょう。それは単一遺伝子による遺伝病にたとえられます。
しかも特定の遺伝子と心理学的形質との関係を調べた研究結果の再現性は,必ずしも高くありません。多くの追試研究をみると,その効果を支持する論文もありますが,支持しない研究もあり,全体としてみたとき,その信頼性は,現時点でははなはだ怪しいと言わざるを得ないという点が指摘されます。
安藤寿康 (2012). 遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である 筑摩書房 pp.116-118
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