しつこいようですが,誤解されては困るので,もう一度繰り返します。このことはこれらの行動が遺伝によって「決まっている」といっているのではありません。「決まっている」という表現は明らかに状況を適切に記述していません。なぜならこれらの遺伝の影響はどれも50%以下,つまり逆にいえば相対的には非遺伝的な影響の方が多いこともまぎれもない事実だからです。ですから私は自分の学生に,テストで「遺伝によって決まっている」という言葉遣いをしたら落第させると「脅迫」し,「言論統制」しているくらいなのです。遺伝子の表れは同時に特定の環境に対する適応の表れなのですから,環境が異なればその表れ方も異なります。
またなにかひとつの遺伝子の働きで説明されるものでもありません。「朝食遺伝子」「歯磨き遺伝子」「不倫遺伝子」などというものをイメージするのが荒唐無稽であることはいうまでもないことです。この遺伝子の影響を支えているのはポリジーンという無名の遺伝子たちの織り成す,抽象的で何ものとも名づけにくいカタチが,私たちの文化の中で表れ,「解釈」され意味づけられていることを忘れてはいけません。
これらすべてをわかったうえで,やはり遺伝要因は無視できないと言っているのです。なぜ規則正しく朝食を食べ,きちんと歯を磨き,不特定多数の人とセックスをしたがるのかは,それぞれの人の社会的事情だけでなく遺伝的事情によっても異なるのです。
安藤寿康 (2012). 遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である 筑摩書房 pp.160-161
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