いったい科学には何か価値があるのでしょうか?
何かができる力は価値あるものと,僕は考えます。結果の善し悪しはその使い方によるのであって,力それ自体は価値のあるものです。
一度ハワイで仏教のお寺を見に連れていってもらったとき,そこの住職が「これから私のお話しすることを聞かれた方は,それを一生お忘れにならないでしょう」と前置きして次のようなことを言いました。「人はそれぞれが天国に入る門の鍵を与えられています。ただしその鍵は,地獄の門もまた開けることができるのです」と。
科学もまさにそのとおりです。科学はある意味で天国の門を開く鍵ですが,その同じ鍵で地獄の門も開けられるのです。おまけにその鍵には,どっちの門のためのものなのかの説明は一切ついていません。いっそのこと,この鍵を捨ててしまって,天国の門を開く機会をふいにしたののか?それともこの鍵を使い最善の方法は何か,という問題に取り組むべきか?無論これは大変深刻な問題です。けれども僕らは天国の門を開く鍵の価値を,決して否定するわけにはいきません。
R.P.ファインマン 大貫昌子(訳) (2007). 科学は不確かだ! 岩波書店 p.7-8.
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