「死者は無抵抗に,生前の印象的な出来事に象徴されます。それはなるほど,何をしたかというより,したことのうちで,何が目立ったかの問題です。……私はそもそも,死に方に拘る,という考え方が好きではありませんでした。それは,危険な誘惑です。生きることへの拘りを断念させてしまいます。」
「そうなのかもしれません。……わかる気がします。」
「どんな人生でも,死に方さえ立派であれば,立派な人生だ。——それは,人を破滅させる思想です。戦争になると,政治家はこの考え方を徹底させます。たとえこれまでの人生が不遇であっても,最後に国家のために戦って死ねば,国家は立派な人間として,あなたの人生を全面的に肯定する,と。恐ろしい,卑劣な嗾しです。……私は,苦しみに満ちた人生を送ってきた人間が,死に方一つで,最後にすべてを逆転させられる——自分の一生を,鮮やかに染め直すことが出来ると夢見ることに同情します。その真剣な単純さを愛します。自分は表面的には違っていても,本質的に立派な人間だったのだと,最後に証明しようとすることを理解します。しかし,賛同はしません。」
平野啓一郎 (2012). 空白を満たしなさい 講談社 No.4073-4074/6700(kindle)
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