労働者に「一身上の都合で辞めます」と一筆書かせることで,訴訟リスクを軽減しようというのだ。もし労働者に解雇は不当だったと争われそうになったら,「こちらには証拠がある」と強弁する。これも,契約当事者の意志に反した行動を本人の意志であるかのように偽らせるため,契約の原則から逸脱している。しかし,職場の力関係が圧倒的な場においては,こうした無理も通るのである。
更に,こうした訴訟リスクを避ける手口が高度化している。それが「戦略的パワハラ」だ。組織的にパワハラを行い,精神的に追い詰められた労働者が自ら辞めるのを待つ。会社から「辞めてほしい」とは一言も言わずに,目的を達成することができる。これは「辞めちまえ」と理由もなく解雇するより,表向きは穏健にみえるかもしれない。しかし,本質的な狙いは全く同じである。しかも,その弊害は精神的な疾病にかかってしまう「戦略的パワハラ」の方が深刻だ。職だけではなく,健康も失ってしまうことになる。
戦略的パワハラの背後には,「ここまでならぎりぎり退職強要にならない」とアドバイスする弁護士もいる。この手口が悪質なのは,健康を害することが副次的な悲劇としてではなく達成された目的として起きる点にある。会社は組織を動員し,悪知恵のはたらく参謀を雇ってこの目的を達成する。
今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.89-90
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