僕は13か14歳の頃,ある少女に出会い,心から愛するようになりました。結婚するのにそれからまた13年もかかっていますが,お察しの通りそれは現在の妻ではありません。とにかく彼女は結核にかかって数年のあいだ病身でした。彼女が病気になったとき,僕は文字盤のかわりに大きな数字がくるくる変わっていく時計をプレゼントしたのですが,これを彼女はことのほか気にいっていました。プレゼントしたのは病気になった当初のことで,彼女はそれから4年,5年,いや6年間,だんだん病勢がつのっていくあいだも,離さず病床のそばに置いていたものです。そして結局は帰らぬ人になってしまいました。亡くなったのは夜の9時22分のことでしたが,例の時計はその時間を指したまま,もう永久に動きませんでした。ここで僕が幸いにも気がついた他の状況を,お話しすべきでしょう。第1に5年のうちには,さすがの時計も少しガタがきてバネもゆるみ,ときに僕が修理してやらなくてはならないことがありました。第2に,死亡証明書に死亡時刻を書きこむため,看護婦が時間を確認しようとしたとき,部屋の中が薄暗かったので,もっと数字をよく見ようとして時計をもちあげ,こころもち上向けにしてから元にもどしたのです。それに気づかなかったら,さしもの僕もいささか説明に困る立場になっていたかもしれません。そういうわけでこうした逸話を考えるとき,すべての条件を覚えているよう注意する必要があるのです。気がつかなかった条件すら,あるいは現象の神秘を解明してくれるかもしれません。
要はただの1回や2回のできごとくらいでは,何の証明にもならないということです。こういうことに関しては,すべてを慎重に調べなくてはなりません。でないとあらゆるたぐいのでたらめを信じ込み,自分の住む世界のことはさっぱり理解できない連中の,仲間入りをすることになってしまいます。もちろんこの世界を理解している者などは誰一人いませんが,他の人より少しは理解が進んでいる人もいるのです。
R.P.ファインマン 大貫昌子(訳) (2007). 科学は不確かだ! 岩波書店 p.112-114.
PR