1995年,右ヒジに違和感を感じて戦列を離れていた頃——。
中傷の記事は跡を絶たなかった。英語を話せる彼は外国人選手と頻繁に食事に出掛けるだけで「どうせメジャーに行くための英会話の練習だ」と,穿って見られてしまう。投げなければ「仮病だ」と書かれ,挙げ句の果てには手術の直後,「執刀時間が短すぎたのはメスだけ入れて,移植したふりをしただけじゃないのか」などという報道までもがなされた。いったい何のために,そんなことまでする必要があるというのだろうか。ブルペンで140キロを投げれば,本当に手術したのならそんなに出るはずはないという疑惑までもが大真面目に取り上げられ,世の中に出回った。根拠がないにもほどがあるこれらの記事には,さすがの桑田も怒りを通り越して悲しみさえ感じていた。
女性問題でも桑田は何度か写真週刊誌に掲載されている。しかし,こういった記事も虚実相半ばしていた。この類の記事の中には,よくここまで調べたなというものも確かにある。しかし,いい加減な取材をもとに推測ばかりの記事が書かれているケースも少なくない。例えば1998年の春季キャンプ。ある写真週刊誌で桑田は深夜,宮崎の街を女性と腕を組んで歩き,2人,タクシーで夜の街に消えたと報じられた。女性の目を隠した写真が掲載されているのだが,これは誰が見ても真紀婦人なのだ。いい気分で酔っ払った夫を介抱すれば,腕くらいは組むだろうし,一緒にタクシーにも乗る。この程度の取材で世の中に流れている情報は,枚挙にいとまがないのだ。
石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.258-259
PR