1984年,NIMHは再度,うつ病のセロトニン仮説の検証に取りかかった。この研究では,うつ病患者の中のセロトニン濃度の「低い」「生物学的サブグループ」が,セロトニンの再取り込みを選択的に阻害する抗うつ薬,アミトリプチリンに最もよい反応を示すかどうかを検証した。もし抗うつ薬が脳内の化学的アンバランスを治療するなら,アミトリプチリンはこのサブグループに対して最も有効なはずだからである。だが主任研究員のジェームズ・マースの報告では,「予想とはうらはらに,脳脊髄液中の5-HIAA濃度とアミトリプチリンに対する反応には,何の関係も認められなかった」。彼らはまた,アスベルグの研究結果と同様,うつ病患者の5-HIAA濃度は非常にまちまちであることを発見した。脳脊髄液中のセロトニン代謝物の濃度が高い患者もいれば低い患者もいた。かくしてNIMHは,唯一可能な結論を導き出した。「セロトニン作動系システムの機能の亢進や低下そのものが,うつ病に関係するとは考えられない」。
だがこのNIMHの報告にもかかわらず,うつ病のセロトニン理論は完全には消滅しなかった。1988年にイーライリリー社が「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」プロザックを発売し商業的成功を収めると,うつ病の原因はセロトニン濃度の低下であるという説明が大衆レベルで復活した。そしてまたもや,多くの研究者がその真偽を確かめるために実験を重ねたが,何度やっても結果が変わるはずがなかった。「キャリアの最初の数年間は,脳のセロトニン代謝の研究にフルタイムで従事したが,うつ病をはじめとする精神障害が脳のセロトニンの欠乏の結果であるという説得力のある証拠は,一切見つからなかった」と,2003年のスタンフォード大の精神科医デビッド・バーンズは言っている。他にも多くの人が同じことを証言している。ダラスのサウスウエスト医療センター精神科准教授のコリン・ロスは,1995年の著書Pseudoscience in Biological Psychiatryの中で,「臨床的うつの原因が何らかの生物学的な欠損状態であるという科学的証拠はない」と述べている。2000年に出版された精神医学の教科書,Essential Psychopharmacologyには,「モノアミンの不足がうつ病の原因であるという明白で説得力のある証拠はない。つまり『実体的な』モノアミン欠乏症というものは存在しない」とある。だがそれにもかかわらず,セロトニン信仰は製薬会社の宣伝力によってしぶとく生き残り,とうとう2005年には,精神医学史の著作が多数あるアイルランドの精神科医デビッド・ヒーリーをして,セロトニン理論は他の信憑性のない理論と同様,医療廃棄物として捨て去るべきだと皮肉を言わしめた。彼は怒りもあらわに,「うつ病のセロトニン理論は,精神異常のマスターベーション理論に匹敵する」とまで言ったのである。
ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.111-112
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