統合失調症は現在,基本的に生涯続く慢性疾患と考えられており,この理解の発端を作ったのはドイツの精神科医エミール・クラペリンの研究だった。1800年代末,彼はエストニアの精神病院の患者の転帰を体系的に追跡調査し,確実に認知症へと悪化する特定の集団の存在を突き止めた。彼らは,入院時に感情の欠如を示した患者だった。多くが緊張病性で自分の世界に閉じこもり,往々にして粗大運動に問題が見られた。奇妙な歩き方をし,顔面チックと筋けいれんがあり,意思をもって身体活動を行うことができなかった。クレペリンは1899年の著書Lehrbuch der Psychiatrieの中で,こうした患者を「早発性痴呆」と記述し,1908年にスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーが,この荒廃した状態の患者を指す新たな診断名として「統合失調症」という用語を作りだした。
だがイギリスの歴史家メアリー・ボイルが,1990年の論文「統合失調症だったのか? クレペリンとブロイラーの集団の再分析」で説得力をもって論じたように,クレペリンの「早発性痴呆」の患者の多くは疑いなく,1800年代末には未特定であったウイルス性疾患,嗜眠性脳炎に罹患していた。この病気はせん妄状態や昏迷を引き起こし,患者はぎこちない歩き方をようになる。オーストリアの神経科医コンスタンチン・フォン・エコノモが1917年にこの病気を記述すると,嗜眠性脳炎の患者は「統合失調症」集団から除外された。その後に残った患者集団は,クレペリンの早発性痴呆集団と全くかけ離れていた。「疎通性がなく,緊張病性昏迷を示し,知能が低下する」タイプの統合失調症患者は,ほぼ姿を消した,とボイルは指摘する。その結果,1920年代〜30年代の精神医学の教科書に掲載された統合失調症の記述が変化した。脂っぽい肌,奇妙な歩行,筋けいれん,顔面チックなどの従来の身体症状は全て,診断マニュアルから消え,残ったのは幻覚,妄想,奇異な思考といった精神症状だった。「統合失調症の指示対象が徐々に変化し,この診断名が最終的には,クレペリンの症状と表面的にもほとんど類似点がない集団に適用されるようになった」とボイルは記している。
ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.134-136
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