アイルランドの精神科医デビッド・ヒーリーのキャリアの頓挫は,どこかモッシャーの失脚を思い起こさせる。1990年代のヒーリーは精神医学史研究の第一人者と目されており,主に薬物療法時代に焦点を当てた著作があった。ヒーリーはイギリス精神や栗学会の事務局長を務めていたが,2000年初めにトロント大学中毒・精神保健センターから気分・不安に関するプログラムの責任者に誘われた。その時まで彼はモッシャーと同様,精神医学界の主流派のど真ん中にいた。一方,彼は数年来,SSRIが自殺を誘発する可能性に関心を寄せており,「健康なボランティア」による研究を完了したところだった。20人のボランティアのうち2人にSSRI服用後,自殺傾向が現れ,薬が自殺念慮を引き起こす可能性があるのが明らかになった。トロント大学への就職が決まってまもなく,彼は研究結果をイギリス精神薬理学会の会合で発表した。そこで彼は,あるアメリカ精神医学会の重鎮から,この研究から手を引くよう忠告された。「もしこういう結果を発表し続けるなら,キャリアを潰すことになると警告されました。私には薬の危険性を公表する権利はないというのです」とヒーリーは言った。
2000年11月,トロントでの新しい仕事が始まる数カ月前,ヒーリーは同大主催のセミナーで精神薬理学の歴史について講演した。この講演で,ヒーリーは1950年代に神経遮断薬が導入されてから発生した問題を取り上げ,プロザックや他のSSRIが自殺のリスクを高めるというデータを簡単に紹介し,ついでに,現代の感情障害の転帰が1世紀前よりも悪いことにも触れた。もし「今日の薬が本当に有効なら」,そうなるはずはないと言ったのである。
講演は,そのセミナーで最も優れた講演として参加者から評価されたが,ヒーリーがウェールズに帰り着く前に,トロント大学は彼の採用を取り消した。「貴殿の現代精神医学史の研究者としての業績を高く評価しておりますが,貴殿のアプローチは本学の学究的および臨床的リソースの構築という目標と相容れないと感じております」という電子メールが,センターの精神科医長デビッド・ゴールドブルームから届いていたのである。これを見て,精神医学に携わる者が引き出せる教訓は1つしかない。「批判的発言をすれば,ろくなことにならない。治療の効果を疑うとか,医者に任せておけば安心とは限らないなどと言うのは,もってのほかです」とヒーリーはインタビューで語った。
ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.454-455
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