現実の大人から認めてもらえない身体感覚としてのネガティヴな感情は,言葉とのつながりをもてずにエネルギーとしてのみ存在することになります。そのような状態でテレビやゲームに浸るとき,自分の身体を流れるネガティヴな感情とフィットする言葉に出会うわけです。
いらいらむかむかしているときに,ゲームで「死ね!」と言いながら敵を倒すと,すっきりする。そのようなとき自分の身体感覚とともに,自分の感情をあらわす言葉として,不適切な乱暴な言葉を獲得してしまうのではないかと想像します。
だから,「死ね!」と言っているときには,本当は「くやしい」という気持ちであるかもしれないし,「つかれた」と言っているときには本当は「悲しい」という気持ちであるかもしれないし,「別に」は「不安だ」という気持ちであるかもしれないわけです。
単純な言い方をすると,子どもたちは,ネガティヴな感情をあらわす言葉をまちがって学習してきたといえるでしょう。ゲームやテレビやインターネットの問題は,大人が子どものネガティヴな感情を承認できなくなっている傾向と対になっているときに,子どもに重大な悪影響をもたらすものになると言えるのではないかと思います。
大河原美以 (2006). ちゃんと泣ける子に育てよう:親には子どもの感情を育てる義務がある 河出書房新社 pp.123-124
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