心的機能が社会的に構成されたものだということは,それらが無力な虚構だということでは決してない。知能や記憶などの心理的カテゴリーはいったん社会に受け入れられると,今度は,人々の心の理解の仕方や人間観に影響を与えるようになる。
知能とはこういうものだ,記憶とはこういうものだと規定されると,私たちはそれに合わせて自分の知的能力を作り上げ,早期の仕方を訓練していく。
「心とはコンピュータだ」という考えが社会に広まれば,コンピュータをモデルとして人間の心を理解するだけではなく,それに近づけようと自分の心を改造し,それに合わせようとして子どもを教育するのである。正確で誤りのない,感情を交えない計算機であるように,自分たちをシェイプアップしてしまうのだ。
心は他人には決してわからない秘密の小部屋のようなものだという心の概念が社会的に共有されれば,心とはそうしたものであり,コミュニケーションは最終的に無力だという態度が生まれてくるであろう。
このように,社会的ラベリングがその対象を実際に形成していってしまう現象を,哲学者のイアン・ハッキングは「ループ効果」と呼んだ。ブーメランが戻ってくるように,自分たちで規定した意味が,自分たちのあり方を規定するようになるのである。
この意味において,心は現実的に社会的に構成されるのである。
河野哲也 (2008). 暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討 光文社 p.134-135.
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