コンピュータ科学という分野は昔から男性中心だと思われがちだが,世界で最初のプログラマーは女性である。1843年にエイダ・ラヴレス(1815〜1852年,ちなみに詩人のバイロン男爵の娘である)が当時「解析機関」と呼ばれていたコンピュータについて書いた文章が,現在まで続いているほぼすべてのコンピュータと独創性に関する議論のはじまりである。
チューリングは,チューリングテストを提案した論文のなかで,1つのセクションを彼の言う「ラヴレス婦人の反論」に割いている。特に,1843年に彼女が書いた次の一節についてだ。「解析機関はどんなことでも自分でははじめられない。人間が命令の仕方を知っていれば,解析機関はどんなことでも実行できる」。
このような主張は,コンピュータに対する大多数の意見を集約しているようにも思えるし,こうした主張を受けてさまざまな意見が考えられるが,チューリングは素直に急所を突いた。「ラヴレス婦人の反論を変形させると,機械は『本当に新しいことはなにもできない』ということになる。これについては当面,『太陽の下に新しいものなどなにもない』ということわざで言い返すことができる。自分がした『独創的な仕事』が,ただ教育によって自分のなかにまかれた種が育っただけ,あるいはよく知られた一般則に従っただけのものではないと確信できる人がいるだろうか」。
チューリングは,ラヴレス婦人の反論をコンピュータの限界だと認めるわけでもなく,実はコンピュータは「独創的」になれるのだと主張するわけでもなく,これ以上ない痛烈で衝撃的な手段を選んだ。人間が誇りにしている意味での独創性など,存在しないと言い放ったのである。
ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.190-191
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