このことから分かることは,意図とはむしろ認識に関わるということである。自分の行動がどのような文脈のなかで行われ,それが周囲の世界にどのような影響を及ぼすか知っていながら行うということが,「意図的」ということなのである。
たとえば,ある大統領が殺され,大統領が目論んでいた某国との停戦協定が頓挫したとしよう。もし,その犯人が大統領の財産を奪うことだけに関心があり,停戦協定のことなど知らなかったとすれば,その犯人は戦争の泥沼化を意図していたわけではないことになる。結果,そうなっただけである。
しかし,犯人が戦争の長期化を目論む某国のスパイだったならば,そのスパイは,大統領の死が国際情勢にもたらす因果関係を認識していたはずである。意図的な行為は,その行為が引き起こすだろう因果関係を認識しながら行うものである。
したがって,意志するとは,行為を発する決意のことではなくて,ある目的を達成するように(あるいは,理由に沿うように)自分の行動を調整することなのである。
強い意志とは,いくつかの失敗にもめげずに,さまざまな仕方で目的を達成する試みをしようとする粘り強い態度を指す。強い意志は強い決意や強い心のエネルギーを意味する,と考えるのはやや素朴な発想である。
河野哲也 (2008). 暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討 光文社 p.166-167
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