「知恵遅れ(retarded)」という言葉は,かつては丁寧な言葉だった。この言葉は「白痴(idiot)」「痴愚(imbecile)」「軽愚(moron)」といった言葉の代わりとして使われはじめたが,これらの言葉ももともとは丁寧な言葉だった。言語学者はこのように丁寧な表現が悪い意味になっていく過程を「延々と続く婉曲表現の置き換え」と呼んでいる。皮肉なことに,人やアイデアをけなすときに「知恵遅れ」と言うと,「白痴」や「軽愚」と言った場合よりも侮蔑的な響きになる。「白痴」や「軽愚」などの表現は——あまりに侮蔑的であるために——使われなくなり,代わりに「知恵遅れ」という表現が使われるようになったのにもかかわらず。大統領首席補佐官のラーム・エマニュエルが2009年の戦略会議で,自分の気に入らない提案を「知恵遅れ」と呼んだところ,大物の共和党員たちから彼の辞任を求める声が湧き上がり,(辞任しないのであれば)特別オリンピック[知的障害者のためのオリンピック]の委員長に対して個人的に謝罪するべきだと非難された。2010年5月,上院の健康,労働,年金に関する委員会で,ローザ法と呼ばれる法案が可決された。これは,連邦の文書で「知恵遅れ」という言葉を使うのを禁止し,代わりに「知的障害者(intellectually disabled)」という言葉を使わなければならない,というものである。延々と続く置き換えは続いているのだ。
ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.284
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