ここで注意しておくべきことがある。それは,認知心理学で言う「意識下(閾下)」とフロイトの「無意識」には大きな違いがあるということである。この2つを混同しているために,話しがわけのわからないところに行ってしまうのだ。
フロイトの無意識は,抑圧されて意識にのぼってこないものである。抑圧されているものは,たんに意識されないだけでなく,先ほど述べたようにネガティブな内容を含んでいる。一方,認知心理学で言う意識かあるいは閾下は,処理容量や意識や注意の限界の問題である。この場合に意識されないものがあるのは,十分な処理を受けていなかったり,重要でなかったり,注意が向けられなかったりしたからであって,ネガティブな内容をもつからではない。
違いは,もうひとつある。閾下知覚では,いまここにある刺激が意識にのぼらない。これに対して,フロイトの「無意識」では,意識にのぼらないのは,過去の体験やできごとである。心理学者の多くも,実はこの2つを明確に区別してこなかったし,いまも漠然としか区別していない。
鈴木光太郎 (2008). オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険 p.51
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