ある言明の理解は,必ず信じようとするところから始まる。もしその言明が真実なら何を意味するのかを,まず知ろうとする。そこで初めて,あなたは信じないかどうかを決められるようになる。信じようとする最初の試みはシステム1の自動作動によるものであり,状況を最もうまく説明できる解釈を組み立てようとする。ギルバートによれば,たとえ無意味に見える言明であっても,最初は信じようとするという。たとえば,彼がこしらえた例文「白い魚がキャンディを食べている」を読んでみてほしい。たぶんあなたの脳裏には,ぼんやりと魚とキャンディの印象が浮かんだことだろう。これは,無意味な文章に意味を持たせようとして,連想記憶の自動処理により2つの観念を関連づけようとした結果である。
ギルバートは,信じないという行為はシステム2の働きだと考え,この点を立証するためにエレガントな実験を行った。参加者は「ディンカは炎である」といった無意味な文章を読まされ,数秒後に「正しい」と書かれたカードか「まちがい」と書かれたカードを見せられる。その後に,どの文章が「正しい」に分類されたか思い出すテストを受ける。ただし一部の参加者は,実験中ずっといくつかの数字を覚えているよう指示されている。こうしてシステム2が忙殺されると,まちがった文章を「信じない」ことが難しくなるという偏った影響が現れた。実験後に行われた記憶テストでは,数字を覚えているせいで疲れ切った参加者は,大量のまちがった文章を正しかったと考えるようになった。このことが示す意味は重大である。システム2が他のことにかかり切りのときは,私たちはほとんど何でも信じてしまう,ということだ。
システム1はだまされやすく,信じたがるバイアスを備えている。疑ってかかり,信じないと判断するのはシステム2の仕事だが,しかしシステム2はときに忙しく,だいたいは怠けている。実際,疲れているときやうんざりしているときは,人間は根拠のない説得的なメッセージ(たとえばコマーシャル)に影響されやすくなる,というデータもある。
ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.120-121
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