クレヴァー・ハンスのできごとは,さまざまなことを教えてくれる。ひとつは,動物が一見人間のようなことができるからと言って,人間と同じようなやり方でやっているとは限らないということだ。これ以降,心理学では,動物の知的能力については,まず疑ってかかるという態度をとるようになった。
もうひとつ重要なことは,実験する側の人間が知らないうちに被験者に答えや反応の手がかりを与えてしまう場合があるということである。実験条件による結果の違いが,なんのことはない,実験者の結果の予想が被験者の反応に影響していただけというのでは,冗談にもならない。こうした実験者の影響は「実験者効果」と呼ばれる(動物の心理学実験の場合には,ハンスに因んで「クレヴァー・ハンス効果」と呼ばれることもある)。心理学の実験では,こうした効果が入り込まないようにする方法をとらなければならない。これは鉄則である。
心理学の実験がほかの科学の実験と大きく異なるのは,まさにこの点だ。それは,相手が心をもった生身の人間で,実験するのも心をもった人間だということである。そこには互いに影響し合う関係が必然的に存在している。
鈴木光太郎 (2008). オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険 p.147
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