サンスティーンと共同研究者の法学者チムール・クランは,バイアスが政策に入り込むメカニズムに「利用可能性カスケード(availability cascade)」という名前をつけた。2人は,社会に関する文脈で「あらゆるヒューリスティックは平等だが,とりわけ利用可能性は平等である」と述べている。彼らが想定しているのは流暢性と利用可能性によって形成される広い意味でのヒューリスティックスであり,ある観念の重要性は思い浮かぶたやすさ(および感情の強さ)によって判断される,としている。
利用可能性カスケードは自己増殖的な連鎖で,多くの場合,些細な出来事をメディアが報道することから始まり,一般市民のパニックや大規模な政府介入に発展するという過程をたどる。また,リスクに関する報道が特定グループの注意を引き,このグループが不安に陥って騒ぎ立てるという経過をたどることもある。感情的な反応それ自体がニュースの材料となり,新たな報道を促し,それがまた懸念を煽り,大勢を巻き込んでいくわけだ。ときには,利用可能性の威力を心得ていて,不安を煽るニュースを流し続けようと画策する個人や組織が出現し,故意にこのサイクルが拡大することもある。
こうしてメディアが競って刺激的な見出しを打つにつれて,危険はどんどん誇張されていく。高まる一方の恐怖感や嫌悪感が過大評価されていると口にしようものなら,誰によらず,「悪質な危険隠し」とみなされかねない。こうして問題が国民的関心事になると,政治家の反応は市民感情の強さに左右されるようになるため,事態は政治的重要性を帯び始める。かくして利用可能性カスケードが政策の優先順位を変えるにいたる。公共の利益を考えれば他のリスク対策や他の政策に予算を投じるほうが好ましくても,そんな意見はあっさり押しやられてしまう。
ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.209-210
PR