心理学のしの字も知らなかった学生たちに心理学を教えるときには,あまり驚かせてはいけない。だが中には,よく効く驚きもある。学生には,驚くべき統計的事実を示しても何も学ばない。だが驚くべき事例(あんなに感じのよい2人が助けに行かなかった)には反応し,ただちにそれを一般化して,助けは自分たちが考えていたより難しいのだと推論することができた。ニスベットとボージダは,この結果印象的な表現でまとめている。
「被験者は全体から個を推論することには不熱心だが,まさにそれと釣り合うように,個から全体を推論することには熱心である」
これはきわめて重要な結論である。人間の行動について驚くべき統計的事実を知った人は,友人に話して回る程度には感銘を受けるかもしれないが,自分の世界観がそれで変わるわけではない。だが,心理学を学んだかどうかの真のテストとなるのは,単に新たな知識が増えたかどうかではなくて,遭遇する状況の見方や認識の仕方が変わったかどうかである。私たちは,統計を考えるときと個別の事例を考えるときとで,向き合い方が大きく異なる。因果的解釈を促す統計結果は,そうでないデータよりも,私たちの思考に強い影響をおよぼす。だが説得力の高い原因を暗示するような統計結果であっても,長年の信念や個人的経験に根ざした信念を変えるには至らない。その一方で,驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与え,心理学を教えるうえで効果的な手段となりうる。なぜなら信念との不一致は必ず解決され,1つのストーリーとして根づくからだ。読者に個人的に呼びかける質問が本書に多く含まれているのは,このためである。人間一般に関する驚くべき事実を知るよりも,自分自身の行動の中に驚きを発見することによって,あなたは多くを学ぶことができるだろう。
ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.256-257
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