自信過剰を優遇するような社会的・経済的圧力は,金融関連の予測だけに働くわけではない。他のプロフェッショナルも,専門家たるものは高い自信を示さなければならない,という社会通念に直面している。フィリップ・テトロックによれば,ニュースの解説に招かれるのは最も自信たっぷりの専門家だという。自信過剰は,医療業界にも蔓延しているようだ。ある調査では,集中治療室で亡くなった患者について,患者の生存中に医師が下した診断と解剖結果とを比較した。このとき,医師に診断に対する自信の度合いも申告してもらった。すると結果は,「絶対確実と医師が自信を持っていた生前診断の約40%は誤診だった」。ここでもまた,専門家の自信過剰を顧客が助長しているようだ。「一般的に,自信なげに見えることは医師にとって弱点とされており,気弱な証拠とみなされる。迷いより自信を示すほうが好まれ,不確実性を患者に開示するのは,もってのほかと非難される」という。自分の無知を率直に認める専門家は,おそらく自信たっぷりな専門家にとってかわられるだろう。なぜなら後者のほうが,顧客の信頼を勝ち取れるからである。不確実性を先入観なく適切に評価することは合理的な判断の第一歩であるが,それは市民や組織が望むものではない。危険な状況で不確実性がきわめて高いとき,人はどうしてよいかわからなくなる。そんなときに,当てずっぽうしか言えないなどと認めるのは,懸かっているものが大きいときほど許されない。何もかも知っているふりをして行動することが,往々にして好まれる。
ダニエル・カーネマン 村井章子(訳) (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるのか(下) pp.50
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