2000年になってついに行動経済学者のマシュー・ラビンが,損失回避を富の効用で説明するのはばかげており,重大な誤りだということを数学的に証明した。そしてこの証明は注目を集めた。ラビンは,数学的に見れば,掛け金の小さい有利なギャンブルを拒否する人は,より掛け金の大きいギャンブルでばかばかしいほどリスク回避的になることを証明した。たとえばラビンは,大方のふつうの人間(ヒューマン)は,次のギャンブルには手を出さないと指摘した。
50%の確率で100ドル失うが,50%の確率で200ドルもらえる。
次にラビンは,効用理論に従えば,このギャンブルを断る人は次のギャンブルも断ることを証明した。
50%の確率で200ドル失うが,50%の確率で2万ドルもらえる。
だが正気だったら,このギャンブルを断るはずがない。マシュー・ラビンとリチャード・セイラーは,この証明に関する熱狂的な論文の中で,次のように述べている。後者のギャンブルの「期待リターンは9900ドルであり,200ドル以上損をする確率はゼロである。石橋を叩いても渡らないような法律家でさえ,このギャンブルを辞退する人は頭がおかしいと言うだろう」
たぶん興奮しすぎたせいだろう,ラビンとセイラーはあの有名なコメディ・グループ,モンティ・パイソンからの引用で論文を締めくくっている。怒ったお客が死んだオウムをペットハウスに返そうとする。お客は長々と鳥の状態を説明した末に,「こいつは元オウムにすぎない」と言う。だから「経済学者はいい加減に,期待効用理論は元理論にすぎないと認めるべきだ」とラビンらは結論づけた。多くの経済学者は,この軽率な発言を許しがたい冒涜と感じたものである。だが理論に眩惑されて富の効用に執着し,わずかな損失に対する態度までそれで説明しようとする姿勢が揶揄の対象になったのは,当然といえば当然だった。
ダニエル・カーネマン 村井章子(訳) (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるのか(下) pp.81-82
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