私たちはよく短期目標を立てる。目標というものは,がんばって達成しなければならないが,必ずしも上回る必要はない。だから首尾よく達成すると私たちは気を抜いてしまう。これはときに経済学の理論に反する結果を招く。たとえばニューヨークのタクシー運転手は,月次目標や年次目標を立てているかもしれないが,とりあえず日々の努力を左右するのは毎日の売上目標である。しかしこの目標は,達成が容易な日もあれば難しい日もある。雨の日には客を探す必要はほとんどなく,早い時間にあっさり目標を達成できるだろう。しかし天気のいい日には,町を流していても一向にお客がつかまらないことが多い。すると経済学の論理では,運転手は雨の日には長時間がんばって働き,晴れた日に休暇をとるべきだということになる。晴れた日は売上げが少ないので,安く休暇を「買う」ことができるからだ。しかし損失回避の論理からすればまったく逆である。売上目標(=参照点)が決まっている運転手は,達成できなければ損失なので,晴れた日はこれを避けるべくがんばって働く。雨の日は,目標を達成したら,ずぶぬれになってタクシーを探すお客を尻目にさっさと家に帰ることになる。
ダニエル・カーネマン 村井章子(訳) (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるのか(下) pp.106
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