人間も含めてあらゆる動物は,得をするより損を防ぐことに熱心である。縄張りを持つ動物の場合,たいていは防衛側が勝つことは,この原則で説明できる。ある生物学者の観察によれば,「縄張りを脅かそうとする侵入者が現れた場合,ほぼまちがいなく縄張りの主の勝利に終わる。それも数秒以内に決着がつく」という。人間の場合には,組織改革を試みたときに起こりがちな顛末を,この原則で説明できるだろう。たとえば企業の再編やリストラ,事務手続きの合理化,税法の簡素化,医療費の削減などがこれに当たる。はじめからわかっていることだが,改革というものはまず必ず,全体としてみれば改善であっても,大勢の勝ち組をつくる一方で,一部に負け組を生む。だが改革で不利益を被る人たちが政治的な影響力を持っている場合,潜在的な負け組は潜在的な勝ち組よりも積極的に,かつ強い決意をもって,その影響力を行使する。すると結果的にはこの人たちに好都合な改革になり,当初の計画より費用は高く効果は低い,ということになりやすい。改革案には,現材の利権保有者を保護する既得権条項が盛り込まれることが多い。たとえば人員を減らす場合には解雇ではなく自然減を選ぶとか,給与・福利厚生のカットは今後の新入社員にのみ適用する,といった具合である。
ダニエル・カーネマン 村井章子(訳) (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるのか(下) pp.109
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