珍奇ネームをつけることは,親の個性の強さを象徴しているといったように思われることもありますが,本当の人間の個性とは,そんなものではありません。
個性のある人というのは,名づけの際に「自分はこうしたい」と本音をズバッと主張し,世の中に少ない名前をつけることもあれば,非常に多い名前をつけることもあります。世間に多いか少ないかなど関係がなく,自分のしたいようにするのです。
ところが「人のつけない名前を」とこだわる人は,43頁の『まれに見るバカ』でも指摘されていたように,裏を返せばつねに「人」の目が気になる人です。
そして,常識とちがうことを成し遂げた,自分だけ思いついた,ということがあらわれた名前でないと,自らの力を感じられないのです。
名づけこそ,自分が主導権をもって行った証であり,なおかつめずらしく見た目もよければ,自分の心が満たされることにもつながります。だからそういう名前をキラキラネームと呼びたくなるのでしょう。言いかえれば「主導権がない」という欠乏感,「力がない」という無力感が,珍奇ネームを生んでいるのです。
しかし,そうした名前が結果として人に不快感を与えてしまうため文字通りの暴走族や不良のイメージと重なり,ドキュンネームと呼ばれる皮肉な結果となっていきます。
牧野恭仁雄 (2012). 子供の名前が危ない KKベストセラーズ pp.112-113
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