珍奇ネームをつける親の特徴として,周囲の人の目を執拗に気にし,かつ周囲の人にさからうことが苦手という点があげられます。たとえば,私に相談に来られた人の中にこのようなやりとりが多々あります。
「個性のある名前にしたいんです。教えてください」
「めずらしい名前のリストはお見せできますが,でも,他人に『個性的だ』と教えてもらうことが個性といえるでしょうか?」
珍奇ネームにこだわる人は,このようにまわりの意見がとても気になり,何でも周囲の人のすることを基準にしたり,ちょっとでも意見がくいちがいそうになったりすると,話そのものをしたがらなくなる方が非常に多いのです。
しかし,そうした方々には全く反対の特徴として,自分の意見に固執するといった傾向も見てとれます。
こんな人がいました。読みようのない珍奇ネームをひとつだけ見せて,「字の意味はいいですか?」と聞いてこられました。字のことだけをいえば,意味のよい漢字が使われていたので,私は「はい……」と言いながら,話をはじめようとしたところ,「ありがとうございます」と叫んで,走り去ってしまったのです。
逃げ足の速さにびっくりした私は,「きっと,専門家がいいと言ったとまわりに主張したいのだろう。よほど自信がなかったのだな」と思いました。
このように先回り社会を生きる私たちのなかには,「人の眼を気にしながら生きる」といった価値観と「自分の意見をとおし,主体的に生きていたい」という相反する価値観が同居しているのです。
牧野恭仁雄 (2012). 子供の名前が危ない KKベストセラーズ pp.164-165
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