もしかしたら,私たちは医療に過剰な期待を抱いてしまったのかもしれない。ペニシリンのせいで勘違いしてしまったのかもしれない。1928年にアレクサンダー・フレミングが発見したペニシリンは,それまで治療法がなかった様々な病気に有効だった。1つの薬で多種多様な病気を治せた。ならば,きっと様々ながんに効く特効薬も見つかるはずだ。やけどを消してしまう薬,脳梗塞や心臓病を治せる薬も見つかるに違いない。将来はどんな病気や怪我も薬1つで治せるようになる。ペニシリンはそのような幻想を作ってしまった。
だが,現実にはそうならなかった。1928年から現在までに数々の発見があり,多くの病気は独自の特徴を持っていて,治療も難しいということが判明した。ペニシリン1つで全て治せると思われていた感染症でさえ,亜種には効かなかったり,今まで効いていた種類にも耐性ができてしまったりすることがわかった。現在では感染症の治療法は細分化されている。菌の抗生物質への耐性,患者の容態,感染している器官などを考慮したうえで治療法を選ぶのだ。現代の医療はペニシリンのようなシンプルな特効薬から遠ざかり,溺れた少女の救命のように複雑なものとなっているのだ。だから,複雑性にいかに対応するかは現代医療の命題だ。私たちが身につけられる知識と技術の限界が試されているのだ。
アトゥール・ガワンデ 吉田 竜(訳) (2011). アナタはなぜチェックリスト使わないのか?:重大な局面で“正しい決断”をする方法 晋遊舎 pp.27
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