現在,表向き,企業が新入社員に要求するコミュニケーション能力は,「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」である。OECD(経済協力開発機構)もまた,PISA調査などを通じて,この能力を重視している。この点は,本書でもあとで詳しく触れる。
「異文化理解能力」とは,おおよそ以下のようなイメージだろう。
異なる文化,異なる価値観を持った人に対しても,きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違う人の意見も,その背景(コンテクスト)を理解し,時間をかけて説得・納得し,妥協点を見いだすことができる。そして,そのような能力を以って,グローバルな経済環境でも,存分に力を発揮できる。
まぁ,なんと素晴らしい能力であろうか。これを企業が求めることも当然だろうし,私もまた,大学の教員として,1人でも多く,そのような学生を育てて社会に送り出したいと願う。
しかし,実は,日本企業は人事採用にあたって,自分たちも気がつかないうちに,もう1つの能力を学生たちに求めている。あるいはそのまったく別の能力は,採用にあたってというよりも,その後の社員教育,もしくは現場での職務の中で,無意識に若者たちに要求されてくる。
日本企業の中で求められているもう1つの能力とは,「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」「輪を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。
いま就職活動をしている学生たちは,あきらかに,このような矛盾した2つの能力を同時に要求されている。しかも,何より始末に悪いのは,これを要求している側が,その矛盾に気がついていない点だ。ダブルバインドの典型例である。パワハラの典型例とさえ言える。
平田オリザ (2012). わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か 講談社 106-115/2130(Kindle)
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