理科の授業が多少苦手だからといって,その子の人格に問題があるとは誰も思わない。音楽が多少苦手な子でも,きちんとした指導を受ければカスタネットは叩けるようになるし,縦笛も吹けるようになるだろう。誰もがモーツァルトのピアノソナタを弾ける必要はなく,できれば中学卒業までに縦笛くらいは吹けるようになっておこうよ,現代社会では,それくらいの音感やリズム感は必要だからというのが,社会的なコンセンサスであり,義務教育の役割だ。
だとすれば,コミュニケーション教育もまた,その程度のものだと考えられないか。コミュニケーション教育は,ペラペラと口のうまい子どもを作る教育ではない。口べたな子でも,現代社会で生きていくための最低限の能力を身につけさせるための教育だ。
口べたな子どもが,人格に問題があるわけではない。だから,そういう子どもは,あと少しだけ,はっきりとものが言えるようにしてあげればいい。
コミュニケーション教育に,過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ。
平田オリザ (2012). わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か 講談社 261-270/2130(Kindle)
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