1つは,はたしてこういったコミュニケーション教育のための授業が,国語という枠組みの中に収まるのかどうかという問題。文科省は昨今,「聞く,話す」ための力の重視を打ち出してはいるが,現場は戸惑うばかりだ。だいたい,少し考えてみればわかることだが,国語の教師がコミュニケーションが得意とは限らない。そもそも国語教師の半分は,部屋に籠もって本を読むのが好きな人たちだ。彼らは,言葉について多少詳しいかもしれないが,コミュニケーション教育のスペシャリストではない。それを急に,「さぁ,コミュニケーションです。子どもたちに聞く,話すの能力をつけてあげてください」と押しつけるのは,とてもかわいそうな話ではないか。
かつて技術化にコンピューターが入ってきたときに,中高年の教師たちがパニック状態になったのと似た現象が,いま国語教育の水面下で,その問題の本質が明らかにされないままに,静かに進行しているのだ。
平田オリザ (2012). わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か 講談社 512/2130(Kindle)
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