遠回しの話になってしまったが,言いたいことは簡単なことだ。
「コミュニケーション教育,異文化理解能力が大事だと世間では言うが,それは別に,日本人が西洋人,白人のように喋れるようになれということではない。欧米のコミュニケーションが,とりたてて優れているわけでもない。だが多数派は向こうだ。多数派の理屈を学んでおいて損はない」
この当たり前のことが,なかなか当たり前に受け入れられない。
しかし,これを受け入れてもらわないと困るのは,日本人が西洋人(のよう)になるというのには,どうしても限界があるからだ。もしこれを強引に押し進めれば,明治から太平洋戦争に至るまでの過程のように,どこかで「やっぱり大和魂だ!」といった逆ギレが起こるだろう。
身体に無理はよろしくないのであって,私たちは,素直に,謙虚に,大らかに,すこしずつ異文化コミュニケーションを体得していけばよい。ダブルバインドをダブルバインドとして受け入れ,そこから出発した方がいい。
だから異文化理解の教育はやはり,「アメリカでエレベーターに乗ったら,『Hi』とか『How are you?』と言っておけ」という程度でいいはずなのだ。
平田オリザ (2012). わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か 講談社 1354-1362/2130(Kindle)
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