心からわかりあえることを前提とし,最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか,「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が,どうにかして共有できる部分を見つけて,それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は,耳に心地よいけれど,そこには,心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いてはいないだろうか。
実際に,私たちは,パレスチナの子どもたちの気持ちはわからない。アフガニスタンの人びとの気持ちもわからない。
しかし,わからないから放っておいていいというわけではないだろう。価値観や文化的な背景の違う人びととも,どうにかして共有できる部分を見つけて,最悪の事態である戦争やテロを回避するのが外交であり国際関係だ。
平田オリザ (2012). わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か 講談社 1905-1913/2130(Kindle)
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