正義感からの殺人は,相手の存在そのものが悪であるとの絶対の確信にもとづいてなされる。殺すことは,悪を滅することであるから,正義なのである。歴史上,この殺人がもっとも多い。だいたい,すべての戦争における殺人がそうだ。すべての戦争は正義のための戦争で,敵は悪,味方は正義なのである。ベトナム戦争だって,米軍の側からすれば正義の戦いなのだ。
中世における異端者の虐殺も,あらゆる革命での反革命者の粛清も,ナチスのユダヤ人虐殺ですら,すべて正義の名のもとにおいてなされてきた。各国でおこなわれている凶悪犯罪者の処刑だって,社会正義の名のもとにおこなわれていることである。
殺人が正義の名のもとにおこなわれるとき,人はそれを是認するばかりか,歓喜し,賞揚さえする。しかし,正義というのは,必ずしも普遍的なものではないから,ある正義の尺度を持つ者にとっては喜ぶべき処刑が,他の正義の尺度を持つ者には吐き気がするほどおそろしいこと,ということは,よくあることだ。
立花 隆 (1983). 中核VS革マル(上) 講談社 pp.34
PR