一方,狂信者ほど他人の信仰に無理解である。自分の信仰を絶対的に正しいと信じることは,他のすべての信仰が絶対的に誤りであると信じることでもある。だから,誤ったことを信じている人間に,真理を教えてやれば,真理に目が開かれ,ただちにその誤りを捨てるだろうと思いこんでしまう。実際,それまでは信仰のなかった者や,信仰があってもそれが浅かった者に対しては,そうした伝道行為が有効で,信者を獲得することができる。
しかし,互いに別の信仰を持つ狂信者同士がぶつかりあったときにはそうはいかない。どちらの伝道も成功しない。ぶっても叩いてもだめである。暴力で決着をつけようと思うなら,どちらかがどちらかを殺すところまでやらねば決着がつかない。
狂信者集団同士がぶつかりあった場合も同じである。ほんとの決着は相手を殺しつくすところまでいかないとつかない。だから,歴史上すべての宗教戦争は,みな殺し戦争となるか,百年戦争となるか,戦争で決着をつけることをあきらめて自由を認めあって妥協するか,3つに1つしかない。
立花 隆 (1983). 中核VS革マル(下) 講談社 pp.229-230
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