実際に起きていることを説明するには,本当にさまざまな問題がある。“マジック”の比喩に戻って,私たちがマジック体験というのはどういうものなのかを理解しようとする宇宙人の種族だと想像してみよう(私の一部のファンが興奮する前にはっきりと言っておくが,私は宇宙人が本当にいるなどとは信じていないし,それを理解しようとしているわけでもない)。私たちはまず何をすればいいだろう?自分でマジックを観るのもいいが,(a)何も役に立たない,もしくは(b)自分たちが体験したことしかわからない。マジックのトリックを目撃した人たちにインタビューするという実験をして,どんなものだったのかを調べるのもいいかもしれない。確実にその人たちは,「催眠術にかけられちゃった」とか「彼は私に催眠術をかけたんだ」と言うのと同じように,「マジックだったよ」とか「彼は私にマジックをして見せたよ」と言うだろう。比喩としては成立している。しかし,いくつかの問題にぶつかるだろう。まず,トリックに対する反応の仕方は膨大にある。本物の魔術だと思う人も少しいれば,本物の「魔法」ではないが,マジシャンが何か特別な精神力,さらには超能力的な力を持っていると信じる人もいるかもしれない。イライラするパズルだと思う人もいれば,仕組みがすっかりわかってしまったけど,それを言うのは失礼だと思っている人もいるかもしれない。よく見られる反応としては,マジックで“あるかのように”便乗して楽しみ,その状況を説明するのに“マジック”という言葉を使うことに抵抗を示さない人は多い。そういう人たちは,「このトリックは本物じゃない」という,ゲームを台無しにしてしまうようなことを言って,マジシャンを困らせるようなことはしたくない。調査するにはあなどれない人たちだ。
ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.179-180
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