たとえば,もしある人が,ホメオパシーか何かの“代替”療法を飲んで,体の具合が良くなり,霊能者に会いに行って満足感を覚えたなら,うまくいったわけだし,その人の治療法の偽りを証明する必要はないと主張する人は多いかもしれない。そういった人々の心の安らぎを,私たちは否定すべきだろうか?個人的には,そういった人たちが私に議論を吹っかけてこない限り(たいていの場合,「それじゃあ,これをきみはどう説明するんだ?」という形だ),そのような治療法によって人が手に入れる幸福感や満足感を減らしてやろうという気は,私にはさらさらない。何らかの形で私に影響を及ぼしたり,危険な原理主義につながったりしない限り,人が何を信じようと私には関係ないことだと思っている。人生における厄介な問題には単純な答えのないものがほとんどであり,真実はおそらくは数え切れないほどの矛盾によって成り立っているのだろうということも,私は心得ている。だから私は,どんな政治的イデオロギーにも与するのは難しいと感じる。1つの立場がすべてを包括できるなどということは想像できないからだ。
ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.369-370
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