次の例についてちょっと考えて欲しい。きみが宝くじに当たる確率は1400万分の1だ。当たる確率は恐ろしく低い。すでに挙げた統計結果からもわかるように,宝くじに当たるよりも,きみの家の屋根に飛行機が墜落してくる可能性のほうがおよそ56倍も高い。それでも,どこかの誰かが宝くじに当たる。その部分に関しては,起きそうにない出来事ではない。むしろ,誰かが当たることはわかりきっている。だからもし私がきみに,「さあ,科学大好き人間くん,1400万分の1の可能性しかないのに,どうして当たるのか説明してみろよ」と迫ったら,きみは不思議そうに私を見て,説明すべきことなど何もないと答えるだろう。誰が当たりくじを引くかを予言できるというなら話は別だが,どこかの誰かが当たりを引くことは,わかりきった事実だ。謎めいたところは何もない。ひと組の番号があたり番号であるという驚くべき「偶然」は,どこかの誰かに必ず起きる。
ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.381
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