学位を取ったばかりだったこの頃,ドイツ人の精神科医アレグザンダー・ヘルツベルクに会った。彼はアクティブな心理療法について本を書いていた。彼はフロイト派だったよ。がちがちのフロイト派だ。だが,彼は,フロイト派の分析に時間がかかるという事実に気づいて,迅速化したいと望んでいた。フロイト派の分析が多くの人々に受け入れられるようにするにはそうするしかなかったんだね。彼は患者に課題を与えることにした。たとえば,家に引きこもって外に出るのを恐れている人に対しては,分析家としての治療を行った後,「ドアのところに行って外を見てごらんなさい。それから右に二歩,左に二歩進んで,戻ってきましょう」と言うんだ。次の時にはそれが五歩になる。そうやって続けていく。すると患者は以前よりもずっと早く回復するということに,ヘルツベルクは気がづいた。彼は,ドイツから逃れてきた他の精神科医とともに症例検討の会議に僕を出席させてくれた。みんな,これは有益な方法だということに賛同した。そのときすぐに僕の頭に浮かんだのは,この方法のなかには精神分析が何らかの役割を果たしているという証拠がまったくないということだった。そうした課題そのものが,改善を生み出している可能性はないのだろうか。分析が役立っているという証拠はない。この改善は学習理論の消去という考え方で説明することができる。これが僕の行動療法の概念の始まりだった。本当は重要なのに,分析を補助するいくらか有益な方法だという以外は誰も何も見出さなかったというのが典型的な反応だよ。本当は,課題を伴う精神分析と課題を伴わない精神分析の比較という重要なものだったんだ。課題を伴うほうがずっと効果が大きく,課題を伴わない分析に何らかの有効性があるという証拠はなかった。
(by ハンス・アイゼンク)
デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.144-145
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