現代社会に生きる個人には「私は私」であってほかの誰でもないという意識がある。その個人がほかの誰かの完全なコピーであるということはあり得ない。その人にしかない資質,能力をもち,古今東西,ただ1回きりしか存在しないものである。少なくとも現代人の生き方はこうした考え方を前提としている。人に名をつけるのに,「ほかの誰とも同じでない」特色のある名前をつけたいと考えるのは,理由のないことではないのである。ただし,名をつけるのは新生児本人ではない。自分の名を自分自身で名づけるという行為が原則的にできないのが,この社会でのルールになっている。本人による自己命名ができたら,じっくりと望ましい名前を自己の責任においてなされるであろうが,それができない相談なのだから,親の責任で適当な名を考えてやるしかない。子の望ましい将来を思い描いて「ほかの誰とも同じでない」存在を,名前によって予祝したいと考えるのは,親として当然のことである。名づけに強い思い入れが感じ取れる場面にしばしば遭遇するのは,ひとえにこのゆえなのである。
佐藤 稔 (2007). 読みにくい名前はなぜ増えたか 吉川弘文館 pp.19
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