私の田舎では「本家」と呼ばれる家があって(それは私の田舎に限ったことではないが),そこの先々代の老人の機嫌のよい時の昔話として聞かされたことだが,その人の父親というのは入り婿だったそうで,舅に頭が上がらなかったらしい。で,子どもが生まれた時も命名権は舅の側にあって,「卯年生まれなので,うさ吉にしたから,役場に届けて来るように」と言われるまま畏まって出かけたのだが,みちみち自分の子が長じても「うさ吉と呼ばれるのなんて,気の毒」と心を痛めながら役場に行き着いたのだという。届けには舅の言い付けに反し,つい「恒吉」と記し,そのまま報告せずに学齢まで放置していたという。
当の恒吉さんは何も知らずに日常「うさ吉」と呼ばれ,それで幼少期を過ごした。やがて小学校入学を迎えたころ,学校では誰ともわからぬ名前で呼ばれることになり,一大パニックを引き起こし混乱した挙げ句,事の真相が知れるに至ったという。明治の20年代の出来事である。「うさ吉」が,親しみやすい幼名として機能していたとしたら,名を一本化して本名(実名)のみに制限する前の時代の余響と見ることができるのではなかろうか。似たような話は丁寧に探し求めれば,あとこちにゴロゴロしているのかもしれない。
佐藤 稔 (2007). 読みにくい名前はなぜ増えたか 吉川弘文館 pp.73-74
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